趣味と嗜好と理性の問題
「ねえ、スチュアート・・・・」 両親から押しつけられた執務も、なんとかこなし、アイリーンは自室でくつろぎながらふと、恋人に呼びかけた。 呼ばれた恋人、スチュアート=シンクの方はなんだ、とばかりに覗き込んでくる。 覗き込んでくる、という表現になるのはソファーに大人しく並んで座っているなどというシュチュエーションではなく、後ろから抱きしめられた状態でソファーに座っているためだったりする。 恋人になる前、疎遠だった時期もあったけれど幼馴染みだったスチュアートが、実は2人になるとやたらくっつきたがる性格だったなんて思いも寄らなかったが、スチュアートは2人になると決まってアイリーンとくっついていたがった。 もちろん、そこはスチュアート=シンクなので擦り寄ってくるとか可愛いものではなく「ここに座れ」とか、「抱きしめるからこっちにこい」とか完全な一方的命令ではあったが。 まあ、それについてはアイリーンに特に異論があるわけでもないのでたいていは大人しくくっついている。 閑話休題。 ともかく、そんなシュチュエーションで今日もくつろいでいたアイリーンは、ふと、あることを思い出したのだ。 覗き込んできたスチュアートの顔をを首を捻って見て、アイリーンは言った。 「あんた、祭りの日に買ったメイド服、まだ持ってんの?」 「なっ!?」 スチュアートが言葉に詰まったようにむせた。 無理もない、非常にほのぼのした雰囲気の中で恋人が問いかけてきた内容がこれだ。 「お前は、何を言い出すかと思えばっ!」 「だって、気になるじゃない。あの時、1枚じゃなくて何枚か買ってたでしょ?その後、どうしたのかな〜って。」 「お前・・・・」 「だってさ、あの服がクローゼットとかに何食わぬ顔で入ってたらすごいなって思うじゃない?」 「いれてない!」 「え〜?入れてないの?」 「・・・・なんで不満そうなんだ、お前は。」 気の弱い者なら見られただけでひれ伏して謝ってしまいそうなスチュアートの冷たい視線にも、アイリーンは一向に堪えず楽しそうに笑う。 「だって、あんたのとこの使用人とかがそれを見つけたら面白い噂がたちそうじゃない。タイロンとか、シャークなら問答無用で相手の女に着せるって話になるだろうけど、スチュアートだったら自分が愛用してるって事になるかも。」 「なるかっ!!」 スチュアートの怒鳴り声に、アイリーンはケラケラと笑った。 「ぶっ・・だ、だって似合いそうじゃない?・・・スチュアートにメイド・・・・あはははははは!」 「お前は〜〜〜〜〜」 とうとうアイリーンはスチュアートの腕の中を抜け出してお腹抱えて笑い出した。 そのあまりに楽しそうな様子に、もう二言三言言ってやろうと口を開きかけてスチュアートは、言葉を飲み込んだ。 笑い転げているアイリーンを横目に、数秒。 「・・・・アイリーン」 「へ?」 まだ文句の一つや二つくると思っていたアイリーンは、急に落ち着いた声で名前を呼ばれて驚いてスチュアートを見た。 見て・・・・見た事を思いっきり後悔した。 (・・・・スイッチ切り替わってる・・・・) 口元に不敵な笑みを乗せて、目を細めているスチュアートはさっきまでのからかわれて赤くなっている幼馴染みの顔は何処へやら。 氷のようなと称される完璧な美貌の顔に、壮絶なまでに艶をにじませた男の顔で。 「ス、スチュアート・・・・?」 じりっと一歩後ろに引いたアイリーンを、獲物を追いつめるようにスチュアートが追う。 「もちろん、あの服は取っておいてあるし、他のも色々用意してあるぞ?」 「へ、へえ〜」 目を泳がせながら、一歩後退。 「なにせ、妻を満足させてやるのが夫の勤めだからな。」 「き、勤勉ね。」 更に一歩。 ソファーの上では三歩後退するのが限界だと、背中に背もたれの感触を感じてアイリーンは知った。 つうっと、冷たい汗が背中を伝う。 (か、からかいすぎた・・・・) 今更、さっきの事を悔やんだところで後悔役立たずというやつで。 しっかりスイッチの入ってしまったスチュアートは、難なくアイリーンをソファーの端に追いつめると耳に触れるか触れないかギリギリのところまで唇を近づけて、吹き込むように囁いた。 「・・・・私は勤勉な夫なんだ。さて、どんな趣向で可愛がって欲しい?アイリーン?」 ゾクゾクっと背筋を走った、愉悦から来る悪寒に身をすくませて、今更ながらアイリーンは思う。 (・・・・なんで私はこんな危ない男を選んだんだか。) もっとも、それこそ後の祭りというやつに他ならない。 スチュアートの唇が耳から移動して、唇に近づいてくれば自然と彼の首に腕を回してしまうぐらいには、アイリーンだってスチュアートに溺れているのだから。 「・・・・スチュアート」 「ん?」 「私、至ってノーマルだからね?」 「・・・・・・・・・・・」 念のため釘を刺しておいたが、ちらっと瞳に過ぎった残念そうな表情を見てしまって、アイリーンは内心顔をしかめた。 (こいつ、いつかあの服持ち出してくるかも。) さらに悪いことに、それをスチュアートが持ってきて着てくれと言われた・・・・うっかり着てしまいそうな気がする。 (・・・・ノーマル、ノーマル、私はノーマル・・・・そんなところまで『普通』じゃなくなりたくなんてないんだから!) 崩れそうになる理性の自分に叱咤激励しておくが、結局 「アイリーン」 酷く甘い声で名前を呼ばれて、ゆっくりと降りてくる唇を受け止めてしまえば、理性など緩やかに溶かされていく。 「アイリーン・・・・」 「なに?」 優しく甘く深い口付けに酔いながら、合間にスチュアートが囁く。 「・・・・いつか着てくれ。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・やだ。」 ―― 辛うじて持ちこたえた理性にアイリーンは拍手を送った。 〜 END 〜 |